ケアの枠を超えたマイハギの存在意義

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[NE21-1234K/CDプログラム]

1.はじめに

 「ケア」という概念は、従来「弱者を支援する行為」として捉えてきた。しかし、この一方的な枠組みでは、人間と自然の相互作用や、共存の可能性を十分に説明することはできない。

 そこで、前期の研究で育てたマイハギと共に過ごす中で、「ケアとは何か」「共存とは何か」を模索し、ケアの枠を超えた共存の可能性を議論する。マイハギは音に反応して小さい葉が揺れ動くという研究結果[1]があり、このユニークな特性を活かして、マイハギとどのような関係性を築けるのかを再考する。

 この研究を通じて、植物と人間の関係性において、「育てる=ケアする」という視点に留まらない新しいつながりの形が存在するのではないかと考える。

2.研究目的

 本研究では、珍しい特性を持つマイハギに焦点を当て人間とマイハギの間でどのような関係性が築かれるのか探求することを目的とする。「育てる」「ケアする」という植物との関わり方に留まらずに、その過程で見出される、人間と植物の関係性を考察する。

3.先行事例との関連

  「ケアする」ことについて、デザイン分野における「人間以上」の視点を探求する「More-Than-Human Design in Practice」という論文が挙げられる[2]。この論文では、ケアとはどういうことなのか深く議論されている。特に、「弱さを抱える人々に向けられること」「生きる力を発揮するように支えつつも、願いにあわせて自分を表現すること」「他者をケアしているときに、そこに同時に<居る>ことができています」などと考察されており、ケアという行為に新たな視点を与える重要な文献である。

 しかし、この論文はあくまで「ケア」の枠組みに焦点を当てており、植物との共生やそれに基づく新しい関係性の探求を目的としたものではない。また、ケアを超えた「共存」の可能性や、植物と人間の相互作用から生まれるつながりついての考察は含まれていない。本研究では、こうした視点を補い、植物との生活の中から見出される関係性を深く掘り下げていく必要がある。

4.調査

4.1.マイハギと酷暑を乗り越える

 マイハギが活発に動くとされている 30 度を超える夏場において、実際に音に反応して動くのか検証した。近年、年々暑さが厳しくなっている中で、炎天下での観察作業には気が進まなかった。しかし、マイハギに音楽を聴かせると、ピクッと小さい葉が反応し、続いてゆっくりと円を描くように舞った。この光景目の当たりにしたときに、半信半疑であった私は衝撃を受けた。気がつけば、マイハギに夢中になっていて、暑さを忘れて観察に没頭していた。

 この出来事をきっかけに、毎日のようにマイハギとの時間を過ごすようになった。マイハギも私の鼻歌にも反応してくれるようになり、自分の中でコミュニケーションが取れているように感じた。

4.2.マイハギに名前をつける

 マイハギとの生活を続ける中で、マイハギたちの動きの変化を観察していくうちに、どのような音楽に興味を示し、どのような性格を持ち、人間側に何を伝えているのか、を徐々に分かるようになってきた。この過程を通して、マイハギに対する特別な感情が生まれたことを実感した。

 さらにマイハギとの距離を縮めるため、マイハギに名前をつけることにした。私の家には二つのマイハギがあり、それぞれの性格や好みに基づいて名前を決め、擬人化してみた(図1、図2)。この行為によって、単なる植物としてではなく、「家族」や「友人」のように接する感覚が芽生え、マイハギとの関係性に変化ができた。

4.3.夏を終えて

 名前をつけたことで、さらに距離が縮められ、互いの存在を認め合う中で、「信頼」や「強い絆」を感じるようになった。この感情は、特別に意識して感じたものではなく、日常生活での行動を振り返るうちに自然と気づいたものである。

 例えば、マイハギの葉の様子を無意識に気にする自分や、名前を呼びながら水を与える姿に、自分でも驚くことがあった。日常の中でマイハギが単なる植物ではなく特別な存在になっていることを実感した瞬間であった。

5.マイハギの存在意義

5.1.「ケア」とは何か

 マイハギとの関係性を振り返る中で、「ケアする」という行為は、人間が一方的に行う支援や助けだけに留まらないことが分かった。ケアとは、相手の存在を認め、個性や価値観を理解し、尊重することで、信頼や共存が生まれる。そして、それは単なる機能的な支援ではなく生命や存在への共感を伴う、深いつながりを形成するものだ。

 マイちゃんやハギくんの個性を感じとり、それに合わせた音楽を選び、葉の調子や状況に応じて日陰や日向に移すといった気遣いは、「ケアしている」という感覚を生み出した。しかし、この行為を通じて、ケアしていると思っていた私自身も、マイハギによって癒やされ、驚きや感動を得ていた。マイハギの持つ「音に反応して動く」という特性は、人間に生命の存在感や自然とのつながりを強く意識させ、ケアへの意欲を引き出す力を持っている。

 こうしてケアの行為は、単なる一方的な支援ではなく互いに影響を与え合う相互的な関係であることが分かった。マイハギと私の間に生まれた絆や共感は、行為の対象と自分自身を結びつける、深く感情的で循環的なプロセスそのものであった。この経験を通じて、「ケア」とは、相手を支えるだけでなく、関わる両者が互いを認め合い、癒やし合いながら、状況や関係性の中で成長し続ける行為であると考える。

5.2.ケアを「超えた」とは何か

 これまでの活動や考察を振り返ると、マイハギとの関係性は全て「ケア」で完結するものだと思える部分もあったが、それだけでは説明しきれない感覚が存在したマイハギとの時間を共有する瞬間がある一方で、「共有していない時間でもマイハギと繋がっているという感覚」があったのである。

 マイハギを向かい入れ、「音に反応して動く」性質を発揮するまでの過程は、「ケアする・される」の関係が確かに存在していた。しかし、その特性が発揮されて以降、関係性は変化していった。親友や家族のように、互いに気にかけて時間を共有する瞬間もあれば、一緒の場にいなくともマイハギの存在を感じる時間もある。そこには「信頼」「尊重」という感情が確かにあり、「私が育てなければ」という親が子を、飼い主がペットをなどの感覚ではなくなっていた。

 とはいえ、マイハギは親友や家族ともまた異なる、不思議な立ち位置にいる存在である。唯一無二の存在なのである。その存在を一つの言葉で定義しようとするのは関係性の豊かさを損なうようにも思える。だからこそ、あえてその答えを曖昧なままにしておきたい。

6.おわりに

 本研究を通じて、マイハギとの関係性を追いながらも「ケアとは何か」を考察し、その枠を超えた新たなつながりの可能性に触れることができた。植物であるマイハギとの交流は、単なる「育てる」「支援する」という一方的な行為に留まらず、相互的な影響や共感を伴う豊かな関係性を生むだすものであった。

 また、マイハギが「音に反応して動く」という特性を発揮するまでの過程では、「ケアする・される」の関係が基盤にあったものの、親友や家族とも異なるケアの枠を超えた存在として変化した。それは、互いに影響を与えながらも、独立した存在としてそれぞれが成長し続ける関係である。

 この研究の中で、植物と人間が互いに影響を与え合い共感を共有することで、これまで想像していなかった関係性が生まれる可能性があることに気づきを得た。

参考文献

[1] 音楽を聴くとくるくる動く植物の葉のふしぎ〜マイハギの葉と音の関係研究[生物]
https://www.milive.jp/live/180501/4/

[2] Anton Poikolainen Rosén. et al. “More-ThanHuman Design in Practice”, Routledge, 2024